・103系

クハ103-617(右)とクハ103-1008  1963(昭和38)年、山手線を4M4Tの8連でもっとも経済的に走行できるようにという目的で試作車が製造され、翌39年から量産に移されました。その後新製冷房車や地下乗入車等の各種バージョンを生みながら1984年までに3000両以上も新製され、JR化後10年以上過ぎた現在でもかなりの勢力を維持しています。
 性能面では本来の用途が山手線用というだけあって低速域での性能が重視され、出力110kwのMT55形主電動機を装備し、歯数比は6.07とされ、どちらも101系用のものなどと比べて大形であるため動輪径は910mmとされました。
1993.5.30 常磐線取手駅にて撮影
 クモハ103-147(初期形モータ車)走行音[c103-147.ra/328KB] 直接再生
 松戸電車区に新製配置され、今も松戸電車区に残っている、しかも途中に他区に移籍したことがないと思われる、まさに「生え抜き」の車両のようです。で、この103系のモーターは構造上の大きな変化で分けると3種類が存在し、初期のMT55形と、昭和47年以降のMT55A形、昭和53年以降のMT55A'形(これは当ページでの便宜上の分類であり、正式には形式はMT55Aのままだそうです)となっているようです。このうち、MT55Aでは主極と補極の間にスペーサーを挿入し磁力を強化するという改良が行われ、MT55A'では冷却ファンの二重構造化などの改良が行われ、この構造が以後の外扇形モーターにも引き継がれるものとなったようです。このことに関しては「鉄道ピクトリアル」1995年3月号で触れられていて、そこではMT55Aから音が変わったと書かれているわけですが、この改良内容を見れば初期のMT55についても入場時などに改良してMT55Aと同等のモーターになっている可能性は高く、また、鳴っている音からしてもファンの構造が変わったMT55A'だけが「後期形」のモーター音であることは間違いないと思うわけです。
 この車両は103系全体で見れば初期にしか製造されなかったクモハであり、ある意味当然とも言える初期形のモーターを積んでいて、その高速域の音はMT54とも似通ったものになっています。動き出しは歯数比の違いからだいぶ違ってくるわけですが、この時代の国鉄の車両の標準的な音、としか聞こえてこないのも事実ですね。
 録音は常磐線我孫子→天王台間です。
 モハ103-1057(初期形モータ車)走行音[103-725b.ra/318KB] 直接再生
 1000番代車は地下鉄千代田線直通用として昭和45年より製造されました。新製冷房車グループの登場する直前の時期にあたり、また初期形のMT55を積んだグループとしては最後に当ります。東西線用の1200番代も同時期に登場したのですが、こちらは後半の新製車ではMT55Aを搭載していたものと思われます。
 これら地下直通対応車では、制御装置を超多段式のものに変更され、電動車比率を高くしたこととあわせて加速度の向上を図っています。現在では203系の登場で千代田線直通用の役割を終えたため東西線転属や快速線転用、さらには105系への改造などが行われています。
 録音は常磐線我孫子→天王台間で、清水さんの提供です。
 モハ103-404(後期形モータ車)走行音[103-404.ra/363KB] 直接再生
 こちらは後期形のモータを積んだ車両の走行音です。この車両は昭和48年製のようで、まだようやくMT55A形を積んで登場したくらいの車両ではありますが、検査入場したときに整備済みの予備品と交換されるなどしてMT55A'の音になっているものと思われます。録音した路線は武蔵野線であり、さすがによくスピードを出しています。
 録音は武蔵野線船橋法典→市川大野間です。
 モハ103-1002(後期形モータ車)走行音[103-1002.ra/346KB] 直接再生
 こちらは登場時には存在しなかった1000番代のMT55A'搭載車の走行音です。録音した車両を含む編成には1001番〜1003番の電動車ユニットが組込まれているのですが、この内の1002番だけが後期形、残りは初期形のモーターを積んでいるようです。なぜこうもばらけてしまうのか、とも思いますが、どうにもならないことなんでしょうね。それにしてもこの車両などは並列段に入って少し加速すればすぐに後期形らしい甲高い音が響きはじめますね。
 録音は常磐線我孫子→天王台間です。
 15両編成通過音[103soto.ra/123KB]
 松戸電車区所属で、松戸電車区所属で、常磐快速線で運用されている15両編成の通過音です。編成は付属の23編成+基本の2編成で、車号はクモハ103-143、モハ102-306、モハ103-1061、モハ102-1061、クハ103-466、クハ103-391、モハ103-380、モハ102-536、サハ103-295、モハ103-326、モハ102-482、サハ103-241、モハ103-328、モハ102-484、クハ103-631の順でよかったと思います。積まれているモータは付属編成は全て初期形、基本編成は両端の電動車ユニットが後期形、中間のユニットが初期形で、15両編成では交互に近い配置になって、楽しめるかと思います。実はこの基本の第2編成が入った15連はずっと狙っていたんですが、なかなか録れなかったんですよね。
 録音は常磐線綾瀬駅のホームから、通過する下り列車の音をとりました。
・その他の103系の姿
 初期の低運転台形車で、大阪環状線を走るクハ103-9以下8連の姿です。前照灯がシールドビーム2灯化されたり、冷房化されたり戸袋窓が埋められたりと、原形をとどめているとは言える状況ではありませんが、それでも初めて山手線に量産車が投入されたときの生まれであるわけです。大阪環状線はオレンジ色に塗られているわけですが、関東と関西で昔から色味が違っていたとも言われますが、この写真の時期はその違い以前に褪色してしまっていますね。
 1999.9.7 大阪環状線京橋駅にて撮影
 こちらも初期車で、奈良電車区に配置された車両の姿です。この頃は車号を記録していなかったので番号は分かりませんが、クモハ103を先頭にする4連のようです。この頃はまだ戸袋窓の廃止もそれほど行われていなかったようですし、前照灯がシールドビーム化されている点や黒Hゴムにされている点などを除けば昔の山手線のような雰囲気でもありますね(え、編成が短すぎ?そういう突っ込みはなしにしましょう、とりあえず色が同じですし)。
 1994.8.28 奈良線宇治駅にて撮影
 こちらも同じく奈良線の車両ですが96年夏頃から黄緑1色では保守作業時などに車両が目立たず危険と言うことから正面に白帯が入れられるようになり、この写真はそうなってからの姿です。また、最近のJR西日本の103系の特徴である、戸袋窓の埋め込みも行われています。編成はクモハ103-95以下の4連です。あるいは上の写真もこれと同じ編成では?とも思うんですが、今更分かることではありませんね。
 1999.9.7 京都駅にて撮影
 こちらは広島地区の103系の姿です。「瀬戸内色」と呼ばれる色で、国鉄末期に115系に塗られたのが始まりだと思います。写真はクハ103-171以下4連で、この後にはサハ102、モハ102、クモハ103と続いているようです。サハ102というのは確か昔片町線で分割併合に対応させて自動解結装置を装備していた車両のような・・・。もちろん今は撤去してると思います。それと、そのサハ102以外の3両には分散型の冷房が積まれているわけですが、効きが悪いとか・・・。
 1995.12.25 山陽本線広島駅にて撮影
 こちらは既に運用を離脱してしまいましたが、JR東海神領電車区に配置され、中央西線や関西線で活躍した車両です。この写真ではわかりにくいですが、床下機器類を灰色に塗装しているのがJR東海の特徴です。写真はクハ103-559以下7連で、既に解体されているようです。今では7連と3連が1本ずつ残っているのみです。
 1999.10.17 名古屋駅にて撮影
 阪和線で活躍するクハ103-567以下4連です。運用範囲の拡大に伴うATS-Sw取付け車の識別のためにこのような白帯が付けられていたようですが、今ではこの設置工事も終了し、運用上の区別も不要になり、いずれは撤去されるのではないかと思われます。
 1999.9.7 阪和線浅香駅にて撮影
 これも同じく阪和線の車両ですが、白帯なしのクハ103-200以下4連です。この車両は一時改良形と呼ばれるグループに属し、低運転台、非冷房でありながら前照灯はシールドビーム式、側窓はユニットサッシという、いかにも過渡期というイメージの強い車両です。このグループはほとんどが関西地区に配置されました。ちなみに、順序としては試作冷房車が登場した後で、このグループの次が新製冷房車となります。
 1999.9.7 阪和線浅香駅にて撮影
 初期の新製冷房車であるクハ103-231以下10連の姿です。この編成の中間車はもっと新しいグループであるATC搭載車と平行して製造された車両のようです。
 1999.1.4 総武本線錦糸町駅にて撮影
 昭和49年以降新製のクハ(269〜)は山手・京浜東北線のATC化をにらんで搭載準備工事車として高運転台に設計変更されています。これが新たな103系の顔となり、以降の新製車はみなこのスタイルになりました。山手・京浜東北線の先頭車を全てこのタイプとするために玉突き転配が異常に盛んになったと言っても過言ではないでしょう。ちなみに、写真の車両は、車号不明です。
 1993.5.30 上野駅にて撮影
 こちらも同じく高運転台ではありますが、最終増備グループである、ATC非搭載バージョンの車両で、習志野電車区のクハ103-817以下10連です。中間にはモハ102形で2000番代の車号を付けた車両が組み込まれていますが、これは区分番代ではなく、あまりに多い製造両数のためにモハ102-899を越えて、試作車である900番代と干渉してしまい、それを避けるために899の次を2001に飛ばしたためにこうなってしまったわけです。一方のモハ103は788までで終了しています。初期の量産車にだけクモハ103形が存在していましたしね。
 ちなみに、ATC準備車や、ATC搭載車は運転室直後の戸袋窓が存在しませんが、このグループでは復活しています。
 1999.1.4 総武本線錦糸町駅にて撮影
 こちらは昭和45年から7連5編成が製造された東西線直通用の1200番代です。登場時は黄色の帯を巻いていたのですが、東中野事故の代替車として205系が総武・中央緩行線に投入されて間もなく、誤乗防止のために営団車と同じく水色の帯に変更されました。
 1993.5.30 営団地下鉄東西線茅場町駅にて撮影(車号不明)
 103系の室内の様子です。現在では更新工事だけでなく、全検入場だけでモケットが張り替えられたりしているためこのような原形のスタイルはほとんど見られないようです。この写真は松戸電車区のクハ103-795のものですが、撮影したあと、数ヶ月のうちにモケットの張り替えが行われてしまったと記憶しています。
 1998.6.27 常磐線取手駅にて撮影
 103系の冷房装置の標準である、AU75形のうち、最大派閥はAU75B形です。AU75B形にはメーカーによっていくつかの形態があり、これは東芝製の、AU75BS形と呼ばれるものです。特徴は他メーカーの写真も載せてから論じることにしましょう。
 2000.6.10 常磐線取手駅にて撮影
 AU75形を搭載していた車両の一部で、なぜか209系などと似たような形態の冷房を積む車両が登場しています。形式はAU720A形と言うようです。大きさもAU75より少し小さいようで、装置の固定用と思われる突起が一組だけ露出しているのが印象に残ります。
 2000.6.10 常磐線取手駅にて撮影
 こちらは同じくAU720A形を逆エンドから見た写真です。
 2000.6.10 常磐線取手駅にて撮影

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